2024/10/10 23:14

人それぞれ、好きな手触り(触覚)って違いますよね。
そもそも触覚とは?触覚が意味する事は?なぜ大事なのか?
感じるものの例で言えば、
「痛み」「温度」「包まれている感じ」などがあります。
その働きは?
「防衛」危険を察知して(痛みや温度など)身体を防衛する
「識別」触った感覚で素材の違いを見分ける(これは手先の器用さにもつながります)
上記以外にも、「情緒を安定させる」や「ボディイメージの発達」など……
色々な働きを持ち、感覚の基礎となる「触覚」ですが、
赤ちゃんや小さなお子さんは、教えられていないのに色々なものに触れていきます。
(時には、大人が「え……」と思ってしまうものまで笑)
口や手で実際触って確かめてを繰り返しているのですが、
私はこの行動を「自分以外の世界との出会い」だなぁと思います。
有名な生物学者ポルトマンは、人間の生後1年を「子宮外胎児期」と呼びました。
ちょっと難しい用語ですが、動物の赤ちゃんは皆、産まれたときから自分の足で立つことができます。
でも人間の赤ちゃんは?
何もできない状態で産まれてきます。
他の動物であれば、子宮の中で育つ時期なのに、1年早く子宮から出てしまうのです。
本来であれば温かい羊水に包まれている時期。
お母さんのお腹のなかで安心してぬくぬくしていた環境から
ある日いきなり外界に出て、「温度」や「重力」に出会います。
そりゃぁ、不安や刺激でいっぱい……
赤ちゃん期は、たくさんたくさん触れられることで、子どもは「自分」がここに存在し、
ここに手があって、足があって、背中がある、と自分を知り、
それがやがて、一人でも立っていける力に育っていくのです。
そしてたくさん「触れる」「触る」ことを通して、
「自分」以外との境界を知り「世界」を知る経験を一つずつ積み重ねていきます。
だからこそ、「本物」に触れることが大切だなと思うんです。
今のご時世(コロナもありましたし)、メディアやネットを通して、たくさん情報を得ることができます。
知識ばっかり優先されて実体験する機会ってどれほどあるのでしょう?
例えば石。
「ごつごつ」「つるつる」「ざらざら」「でこぼこ」and more
石というだけでも、たくさんの手触りがありますよね。
手触りと同時に温度も感じます。
日陰の石は冷たく、太陽に照らされた石はあったかい。
こういった感覚って、メディアの情報だけ(つまり視覚・聴覚だけ)ではキャッチできないのです。
大人が当たり前だと思っていること。
それは、自分が体験してきたからこそ「知っている」ものなのです。
現代に生きる子どもたち。
我々大人が子ども時代に触れ合ってきた自然にどれほど触れる機会があるでしょう。
少なくとも、私は和歌山の山奥で育ったので、我が子は私よりは自然に触れる機会は少ないです。
大人がよかれと思って子どもにしてきたことが、子どもの「触れる」という貴重な体験を奪い、正しい「触覚」の発達を邪魔していないでしょうか?
小さい頃に、さまざまな触れる体験を経験させてあげることは、経験値をあげ、自分と他者との境界を知っていく。
それは、「私」というものを知る絶対的な安定感にもつながるんです。
だからこそ、小さな子どもたちが「触れる」ものは、「本物」であってほしいと思います。
現代の技術ではいくらでも「本物」に寄せることができます。
一見「木」かな?と思ったら、精巧にプリントされたプラスチックだった。
なんて経験はありませんか?
落としても割れないから。
掃除が簡単だから。すぐ乾くから。などの理由やうたい文句でどんどん生産されていく模造品だち。
これって、ぜーんぶ「大人都合」ですよね。
「頭のいい子に育つ!」「発達を促す!」など、たくさんキャッチフレーズを付けられた「知育玩具」たち。
それらを「悪者」にしたいわけではありません。
だってそれを選んで購入することは、「愛」の塊ですもの。
子どもが「困らないように」「いいと思って」という心情。
でもね、一度購入する前に、メディアを見せる前に、
側にいる大人がシンプルに・素に戻ってみて欲しいと思います。
模造品たちには作り出せない「触覚」が必ずあります。
たくさんの本物に触れる事で育っていくものが絶対あります。
それらが、もたらす豊かな感情・感覚は、乳児期・幼児期を超えて、必ず一人ひとりの支えとなると信じています。
「触れる」「触る」「触れられる」この経験をたくさん積んで欲しい。
そう思います。
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

